2011年5月12日木曜日

ハングル反対論

世宗とハングル
めになると考えていた.それで鄭鱗趾は『訓民正音解例本』序文で,レヽング
ルが作られる前には,漢文書籍を習う人達が,その意昧がわからなくて苦しんだが,ハングルが作られた後には漢文の本を読んでもその意昧がわかるよ
うになった]と説明しているのである.これに対して,崔万理等は次のよう
に反駁した.
① ハングルを使用するようになれば,官吏達がハングルだけ習い,学問に関心を特たないようになるであろう.
② ハングルだけで官吏になることが出来るとすれば,後輩達がこれを見て[二十七字諺文](本文のまま)だけで出世が出来ると考えるだろうから, 何のために苦しみながら「性理之学」を研究するだろうか.
③ このようになったら,数十年後には漢宇を知る人が必ず減ってきて, 「聖賢之文字」を知らない人は事理をわきまえることも出来ないし,我国が築き上げた文化もきれいに亡くなってしまうであろう.このように言ってから,また,
今此諺文 不過新奇一芸耳 於学有損 於治無益 反覆筈之 未見其可 也(今のこの諺文は新奇な一つの芸能であるのみである.それで学問には 害になり政治にも益するところがないから,いくら繰り返して考えてみてもその正しさを知ることが出来ない)として,学問がすたれることを心配している.4)対中国外交と訳学
朝鮮朝は建国初期から,近隣の諸国家と円満な外交関係を維持するのが,重要な国家施策の一つであった.当時の記録者達はこれを「事大交隣」と表現した.しかし,このような外交政策を効果的に展開する為には,これを担当し遂行する人達が,近隣諸国の言語に良く通じている必要があった.
高麗時代にはこのような必要から通文館を設置して漢語(中国語)を教育した.朝鮮朝では1393年(太祖2)9月に司訳院を設置して,外国語の教育に力を注いだ.

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