宋学を大成したのが朱熹(しゅき)で、後に朱子とも言われた(1130~1200)。
日本では平安末期から鎌倉初期のころの人だ。
わずか19歳で科挙に合格した朱熹は泉州同安県の主簿となったあと4年で退官し。李延平に師事し儒学を学び、46歳のとき呂祖謙と共に近思録を著した。
朱熹の理論では宇宙は原理と運動の二つから成り、原理のことを「理」、運動のことを「気」と言います。ここからこの理論を理気二元論とも言う。
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朱子は、総合的に論ずれば万物を統括する実態は一つの太極(すべての根源)である。太極とは理であり、その動静は気である。理は根本であり、その後に気が生ずるのだ と言う。
儒教はすなわち、孔子などの言葉を学ぶことだった。朱子学、それまでの儒学とは全く違って、人間とは何かという普遍的なものを探求した。イデオロギー色が強い。根本には「尊王賤覇」がある。「王」即ち皇帝を尊び、覇者を蔑むということだ。
ここまでは一般論。抽象的な論理構成です。韓国はそれまで儒教をさらに道徳的に高め、社会の朱子学化を進めた。改革思考だった。だから「司馬遼太郎のように朝鮮王朝は停滞の500年だったというのは間違い」(大倉紀蔵)という人もいる。
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