韓国の歴史の本、たまたま白村江の戦いについて読んだら、思いがけないことが書いてあった。複数の本に同じ記述があるので本当だろう。
この海戦は663年に起きるが、準備万端の唐軍に対して日本側は「 我先をあそわば、彼自ら引退くべし」と気象を無視して突撃し、数万の日本軍は、数千の唐軍に惨敗する。日本は突撃精神が重視されるが、このころから変わっていなかったのかも。
「白村江」以後 森公章
韓国の歴史の本、たまたま白村江の戦いについて読んだら、思いがけないことが書いてあった。複数の本に同じ記述があるので本当だろう。
この海戦は663年に起きるが、準備万端の唐軍に対して日本側は「 我先をあそわば、彼自ら引退くべし」と気象を無視して突撃し、数万の日本軍は、数千の唐軍に惨敗する。日本は突撃精神が重視されるが、このころから変わっていなかったのかも。
「白村江」以後 森公章
「直訴と王権」(原武史)を読む。この本は朝鮮王朝時代に、王が民からの直訴を丁寧に受けていたことを書いている。新鮮な視点だった。
日本でも江戸時代直訴はあった。しかし、直訴したものは死刑になった。
朝鮮王朝では、名君とうたわれ、ハングルの創設にも尽力した世宗が「御使」と称して、地方の実情を調べる使節を派遣したのを始め、後生の王も民の意見収集に努力していた。それを儒教の教えと考えていたという。(前書き)
すると金正日総書記が熱心に行っている現地指導も、こういう朝鮮王朝の伝統を受け継いだものといえるのかもしれない。